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【難関国公立大】学校行事のエモい思い出!

  • 高2コーチ
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この記事を書いた人

名古屋大 法学部  サンライズ

【難関国公立大】学校行事のエモい思い出!

こんにちは!

名古屋大学法学部のサンライズです。

高校時代は、山岳部や書道部などいくつかの部活を掛け持ち、同時に生徒会役員としての活動もしていました。

得意教科は世界史と英語、苦手教科は数学です。

よろしくお願いします!!

今回のテーマは、「学校行事の思い出」です。

僕自身、小中高と様々な学校行事を経験してきましたが、やはり高校の文化祭の思い出は今でも印象深いです。

というわけで今回は、高校の文化祭、それも高校生活最後の文化祭の思い出を紹介しようと思います。

 が、あらかじめお断りしておくと、ここから書くことは文化祭の「準備」の話がメイン。

というのも、僕にとっては文化祭の「準備」こそ、最大の思い出になっているからです(本番も、もちろん楽しかったのですが)。

「文化祭の準備に奔走した」高3の思い出を、読んでいただければうれしいです。

コロナ禍で迎えた「高校生活最後の」文化祭

僕が高3の頃はちょうどコロナ禍で、学校行事は軒並み、中止になったり規模が縮小されたりと大きく制約を受けていました。

実際、僕の高校では、修学旅行が予定どおり実施できず、文化祭も「例年どおり」には開催できそうもない、そんな状況でした。

一方で、言うまでもなくその文化祭が、僕たちの学年にとって高校生活最後の大きな行事。

僕自身、生徒会役員をしていたこともあり、「多少の制約は仕方ないけれど、なんとか文化祭を開催したい」と強く思っていました。

加えて、もし僕たちの学年で文化祭を実施できないと、コロナ前まで続いてきた「伝統の」文化祭が途絶えてしまう危機感もありました。

僕の高校では、「この学校にしかない」文化祭のイベントも少なくなく、それが大切に受け継がれてきていました。

僕たちが1年生のとき(コロナ前)に経験した文化祭は言葉にできないくらい楽しくて、「あの雰囲気を、コロナ後にも受け継ぎたい」という思いも強かったのです。

そんな背景事情もあって、とりわけ僕たち生徒会役員は、「何としても文化祭を成功させよう」という熱意に溢れていました。

ホントに開催できるのか?!数々の困難が...

とはいえ熱意とは裏腹に、文化祭の開催そのものが非常に難しい状況だったのも事実。

そもそも、「高校周辺の地域でコロナ感染者が増加した場合、行事の開催は難しい」と言われていて、実際に周辺の高校では文化祭の開催を見送った例もありました。

つまり、「文化祭に向けて直前まで準備したが、結局中止になる」リスクが常にあったのです。

さらに、文化祭を開催するとしても「どのようなコロナ対策を、どの程度すればよいのか」がわからないという問題もありました。

文化祭が原因で感染が拡大するリスクを考えると、コロナ前に文化祭のイベントとしてやっていたことを、(コロナ対策をすることなく)そのまま実施することはほとんど不可能。

かといって、感染のリスクばかり考えて規模が小さくなりすぎれば、「伝統の盛り上がり」を受け継ぐことはできなくなってしまう...。

コロナ前の文化祭を参考に作られた先輩からの引き継ぎ資料もほとんど活用できないため、「コロナのリスクを避けつつ、何ができるのか」とても悩んだのを覚えています。

生徒会役員は毎日のように生徒会室に集まり、「どんな対策が有効なのか」「コロナを避けて文化祭を実施した高校がないか」などと議論や情報収集に追われました。

目玉行事を成功させたい!校長先生と直談判

様々な問題があった中でも、特に僕たちが懸念したのは、「合唱コンクールが実施できるのか」ということでした。

僕の高校では文化祭のイベントの一つとして合唱コンクールがあり、クラス対抗で非常に盛り上がります。

「合唱コンクールの雰囲気や各クラスの団結を、途絶えさせたくない」。

いわば文化祭の目玉行事である合唱コンクールを実施できるかどうか、僕も含めて役員の頭の中は不安でいっぱいでした。

というのも、コロナ対策を考えれば、合唱コンクールの実施は非常に困難だったから。

いざ合唱コンクールを実施するとなれば、事前に各クラスで練習も行なわれますし、その分コロナ感染のリスクは上がります。

それに、コンクールは高校近くのホール(公共施設)で行われるため、そこまでの移動や待機時間のリスク、感染が拡がってしまったときの影響も考える必要がありました。

端的に言えば、「文化祭は開催しても、合唱コンクールは行わない」と判断されてもおかしくなかったのです。

文化祭の開催やその内容の可否については、最終的な判断を校長先生が行うことになっていました。

「校長先生を説得してゴーサインを貰わないと、合唱コンクールは実施できない」。

そんな思いから、生徒会役員(のなかでも文化祭運営の中心メンバー)が集まり、「コロナ対策を踏まえた合唱コンクール実施計画」を練りました。

合唱コンクールの計画づくりだけで何時間も、議論を重ねたのを覚えています。

そうして練った計画を職員会議に提案し、最終的には校長先生と直接、話す機会をもらいました。

「感染が拡大して最終的に開催できなくても、それは仕方ない。でも、私たちは合唱をやりたいんです。開催する方向で、準備させてください」。

校長先生は「実現できるよう前向きに検討する」と言ってくれました。

そうした「直談判」も経て、いくつかの条件の下で合唱コンクールを開催できることになりました。

「合唱コンクールができる」と聞いたとき、生徒会の仲間とガッツポーズしたのを覚えています。

コンクールの開催にあたっては、先生たちから出された条件に加え、生徒会でも独自に練習場所・時間などに制限を加え、各クラスにルールを守ってもらうようお願いに出向きました。

「これだけ対策して、それでもダメなら仕方ないよね」と、いわば開き直って、当日まで準備を重ねました。

合唱コンクールが無事に予定どおり終わったときの感動は、今でも忘れられません。

一生の、かけがえのない思い出!!

僕たちの「最後の文化祭」は、今から振り返れば、まだまだ制約の多いタイミングでの開催となり、不完全燃焼な部分もありました。

正直なところ、「もっとできたことがあったかも」と思うことも多いです。

学外からの来場は制限をせざるを得ませんでした(保護者の方の来場も制約しました)し、文化祭が終わった後の打ち上げもできませんでした。

はっきり言って、「もっといろいろやりたかった」のが本音です。

でも、当時、できることを必死で探して、「その時にできることを最大限やる」ために奔走した経験は、一生涯忘れることのない思い出です。

制約がない環境では、あの経験はできなかったと思います。

誰も経験したことのない状況の中で、まさに手探りで開催にこぎ着けた文化祭は、誇張でもなんでもなく、人生で経験した最高の学校行事です。

余談ですが、同じ生徒会役員として文化祭の実施計画を練り運営した当時の仲間たちとは、今でも会って、思い出話をします。

おそらく普通よりも大きな困難に何度も見舞われ、それを乗り越えた仲間どうしだから、ありきたりな言い方になりますが、とても強い絆があるなと思います。

文化祭が作ってくれた思い出や仲間との絆は、僕にとって、一生消えない「エモい」財産です!!

<この記事を書いた人>
名古屋大 サンライズ

最近の楽しかったこと:記事にも出てきた「生徒会役員だった仲間たち」と、同窓会をしました!普段は全員、離れた場所で生活していますが、卒業から3年経った今でも、会って話せる仲間がいるって、とても幸せです。

※この記事は、公開日時点の情報に基づいて制作しております。

 

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